阿蘇の草原に春を告げる可憐な花々が次々に咲いて、
草が芽を出し、緑が次第に濃くなってきました。
輪地を切って、野を焼いてこそ、広がる風景だろうと思います。
4月21日の午後、波野へ向かいました。
途中、空を覆う灰色の雲から、ついに堪えきれずに雨が落ちてきました。
少し迷った後に、多分この辺りかと、車を止め、牧野へ入りました。
斜面を歩き進むと、キスミレがたくさん咲いていました。
そのそばにはサクラソウも。
誰かに場所を聞いておけばよかった・・・
この2週間前の4月7日、日の尾牧野の野焼きに参加しました。
十数年間途絶えていた野焼きが再開されたのが、数年前のことです。
その再開の年は、私が野焼きに参加を始めた年でした。
以来、日の尾には、野焼きか輪地切りで毎年出かけています。
上の写真では、炎の列が二つですが、これが重なった瞬間、
下の写真のように、炎がそれまでの倍以上の高さになりました。
野焼きの炎は、地形、そこに生える植物の違いなどで牧野ごとに異なります。
そして、同じ牧野でも、天気、風向きなど気象条件により変化します。、
7日の夜、猫友さんの一人からメールが届きました。
テレビで阿蘇の野焼き事故のことを知り、私のことを心配してくれたメールでした。
実は、この日の作業終了後に、波野の牧野で怪我人の出る事故があったと
知らされましたが、その時点では、大変な事故だったとは知らなかったのです。
その日の疲れもあって転寝をしたりで、夜のニュースも見ないままでした。
メールをもらってから、慌てて、ネットで調べた結果、
ボランティアリーダーのYさんが、大火傷をされたことだけはわかりました。
夜も遅く、結局、それ以上の情報はわからずじまい。
翌朝、熊日新聞のメールニュースを読んで愕然としました。
ドクターヘリで病院に運ばれ後、懸命の治療の甲斐なく、亡くなられたのでした。
野焼きボランティア会員は人数も多く、リーダーも数十人いらっしゃるので、
顔は見知っていたとしても、お名前はわからない方がほとんどです。
それでも、Yさんは奥様と一緒にリーダーとして熱心に活動されていたとのこと。
きっと、どこかの牧野で、ご一緒したことはあるだろうと思います。
阿蘇の自然をこよなく愛したYリーダーさんのご冥福を祈ります。
今、事務局や関係団体が集まり、事故の検証や今後の対策の会議などを
行っている状況で、先日、その報告書が郵便で届きました。
自分自身、今回の事故で動揺していることは否めませんが、
出来れば、野焼きボランティア活動には、今後も携わりたいとも思います。
事故の現場は特定できず、入り口近くに花を手向けて来ました。
火消し棒は、あの事故の日から置かれたままになっているのかも知れません。
(コメント欄は閉じさせていただいています)
最近のコメント