震災後、釜石市の旧二中(廃校になっていた中学校)の体育館が
死体安置所となり、その数か月を追ったルポルタージュです。
「 遺体 震災、津波の果てに 」 石井 光太 著 ( 新潮社 )
民生委員、市役所の職員、消防団員、僧侶、医師、葬儀社の社員・・・
あの日まで、あの時まで、震災で亡くなった人たちの捜索、
検死、安置、弔いに自分たちが係ることになると誰が想像できたでしょう。
地震の直後は、何が起きているのか知る術がなかった人達でした。
そして、突然、ほかの人より、少し公の職業を持つということだけで、
津波の被害にあった方々の遺体やその遺族と向き合うことになる。
その真摯な姿に頭が下がります。
今、この時、この方達の心が平穏でありますようにと祈らずにはいられない。
混乱していたせいか、取材した人の話には記憶があいまいな部分もあると
作者の石井さんは書いていますが、実に丹念に記憶の断片を拾い上げ、
彼らの、その壮絶な数か月を私たちに伝えてくれています。
胸に迫る一冊です。
ジェミーさん☆彡
こういう本を記事にすると、経験した人には辛い内容だと思います。
そうは思いつつ、紹介せずにはいられませんでした。
報道されていないことの方が、ずっと多いのだと思い知る本でした。
壊滅的な被害のあった町では外部の人が行うことが多かったことが
釜石では無事だった場所に住む方が担うことになったようです。
それはそれで辛いことも多かったと思いますが、
亡くなった方たちは、旧知の方に見守られたのだということが、
携わったことは、そのことが救いになればと願います。
投稿情報: iharaja | 2012/05/28 07:06
県南沿岸の先輩方の施設や病院は津波被害こそ免れたものの、長い期間のライフラインの寸断で、人工透析などされていた入所者さんや入院患者さんなどに満足な治療を提供できず、また、不自由な避難生活からのストレス、津波被害に遭ったスタッフ(非番のスタッフの多くは自宅にいて被害に遭ったんだそうです)が多く人手不足で、せっかく津波から助かってもそういったことで、次から次とお亡くなりになっていって、震災から3ヵ月の間に2~30人の方がお亡くなりになったそうです。
火葬場も機能しない中、施設や病院のスタッフが亡くなった方々を土葬した、と壮絶な体験を震災から3ヵ月たった再会のときに伺い、言葉が出なかったことをつい昨日の事の様に、しょっちゅう思い出します。
私はまだしばらく、この本は読めないかもしれません。
投稿情報: ジェミー | 2012/05/27 14:09
マイキーさん☆彡
三陸海岸ではどこも大きな被害があったのですが、釜石もそうでした。
そして、亡くなった方を捜索し、弔ったのは地元の方々。
旧知の人を見つけ、酷い状態の遺体を目にし、辛い日々だったと思います。
メディアでもなかなか伝えきれていないことがあると思いました。
投稿情報: iharaja | 2012/05/25 05:12
iharajaさん、こんにちは♪
遺体と題名が書かれていたので、一体って思いましたが、震災で亡くなられた、それにかかわった方達の、ルポタージュなんですね(@_@;)
勿論、記憶が混乱していたのはわかりますよね、あれだけの自然災害だったんですから。
それを、作者の石井さんは、記憶の断片を丹念に拾い上げて、彼らの壮絶な数カ月を伝えてくれてるんですね♪
胸に迫る、それだけ胸打たれる、1冊なんですね。
投稿情報: マイキー | 2012/05/25 00:09